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三重日記28

いよいよこの三重日記も終盤に来ました。新たなHPは大沼に戻ってからリニューアルする予定です。

そこで三重に住んでいた期間に学んだことなどを少々まとめてお話しようと思います。
このHPの後半に多くの神社の話題を紹介してきましたのでそこからお話しいたします。
まずは単純な疑問点を挙げてみました。
・何故に日本にはこんなに多くの神社があるのか?
・神社は何のために作られたのか?その目的とは?
・神社の機能とは? 
・神社に本当に神様が祀られているか? 本当に神様が祀られているとしたらどの様な神なのか?
以上の疑問点を独断と偏見と妄想的自己流の切り口で考察してみました。


私は以前の仕事上光学を多少学んで来ました。勿論光学の知識といっても数式を使った物理的光学理論ではないですが光の基本原理的なものは理解しているつもりです。
で、光学と神社がどんな関係にあるの? と怪訝に思われるでしょうが少々お付き合い下さい。

まずは光について考察します。    ・・・・・・神は言われた光あれと・・・・そして多くの光が創造された・・・・・・・

光とは電磁波と呼ばれる波動の一つの帯域で、これは誰でも知っている携帯電話に使用している電波やTVの電波、又はレントゲンなどに使用しているエネルギーと同類のものです。これら全ては電磁波の振動数の違いをスペクトルと言う帯域ごとに分けたものです。その帯域の中で私たちの肉眼と言うセンサーで認識できるのは光の帯域です。その光の帯域に絞って見てもさらに細かくスペクトル分解することができます。
可視域である帯域全体の光が風景やその中にある花々に当たり、その当たった光の反射を美しい色調として認識できる訳です。
この認識に付いてもう少し突っ込んでお話するなら人間の目の網膜にある青や赤や緑を感じる光の受容体が、視神経を通し脳で過去の記憶と照らし合わせて花として色として認識している訳です。

では光から少し帯域を広げて考えてみます。波動全体としての性質の一つに振幅の位相が近似してくると相乗・相殺といった現象が起き、またその振動数(波長)の倍数に応じて同じく共振、つまり干渉というい現象が起こります。
その結果、帯域が違っていても振幅のサイクルが倍数共役の関係にあると、その波動同士がお互いに増幅されたり弱められたりすることが起きます。 話は多少飛躍し量子論的に見るとそのエネルギーの強弱や、時間・空間的な距離にかかわらず共振関係が成立する場合もあります。
光で表現するなら、明るさが増したり暗くなったり、その干渉の状態によっては色調も変わって来たりします。
ここでいうこの波動の複雑な相互作用の相乗・相殺関係すなわち干渉現象が森羅万象の根源全てにおいて当てはめる
ことが可能となります。
そしてその固有のスペクトルが色々な形態を織り成す現象の基本としてこの世界が構築されています。 裏を返すなら森羅万象の波動現象の複合されたスペクトルの一部を、私たちの記憶や思いを通して知覚しています。

さて、ここから話は胡散臭くなります。!!
つまり私たちが知覚する物質や現象および人間の意識も含め全てが波動と定義する事が可能であり、それらは固有のスペクトルで表すことができます。
このような言葉を聞いた事があるでしょうか?人や物に限りませんが特に人間における  ”オーラ”。 この単語ぐらいは誰でも知っているでしょう。
例えば、あの人はオーラが輝いているとか、又は青と赤い色がミックスされているとか・・・・・。
これは、通常の人間の可視域を超えた意識の受信器で捉える事ができる人が、その対象となる人の意識のスペクトルを認識しているのです。 ただそれは意識上の事ですから目に見えません。 よって光のスペクトルの様に色に置き換えて表現しているのです。 そしてスペクトル分類上、紫色〜赤色の帯域で波動の高い低いの違いが出てきます。
つまりオーラを見ることによりその人の意識状態又は身体の状態が判ることとなります。
このように意識のあり方が波動の形態を表すことになります。 森羅万象も波動で表されるスペクトルの一つとするなら意識がその森羅万象に大きく関与していても何ら不合理ではないことになります。
すなわち、意識も、私たちが物質と呼んでいる物も、敷いては霊的なエネルギーと言われるものも、その全ては相互に影響し合っている波動エネルギーのひとつであり、その複雑な関係が共鳴しあった結果として表されたものだという事になります。 そしてその波動の総称を ”光” と呼んでも差し支えないと思います。

随分前置きが長くなりました。
そろそろ本題に入ります。
波動やスペクトルと神社とはどの様な関係なのでしょうか? 世の中で言われている神社のある場所とは、まさに色々な意識やその地特有の気場が作用したエネルギー(波動)が集中した場所又はシンボライズされた場所という事です。
その結果、神社には固有の波動スペクトルがあるという事になります。
このスペクトルに即した個性と言った様なものがそれぞれの神社の特徴となります。

ここからが話のミソですが、
多くの人は何故、神社で願掛けなどの行為を行うのでしょうか?
何故か!その場所が意識の増幅の場所だからです。
その人の意識の波動とその神社の波動が共振すると、願いがこの現象界に物理的な結果として起こりやすくなります。
(余談ですが、人によっては神社の力を借りずとも願いを現実化する人がいますがそれは遍満する宇宙の波動スペクトルと共振出来るからです。)
話を戻して、神社の建てられている場所からその波動エネルギーを検証してみましょう。
特に有名な神社などは活断層や火山や山岳地帯に集中しています。 その場所は地殻の力学的エネルギーが極度の緊張状態になっており、その摩擦で発生した電磁場等の集中した場所なのです。 そしてそのエネルギーが地表に表出した場所に神社の社が建てられる訳です。
日本の中央構造線上にある伊勢神宮などは典型的な例です。 また多くの神社が山をご神体とされるケースが多いのは地殻エネルギーが高い場所だからです。
また、湖や滝又は地下水が豊富な所など不純物の少ない清らかな水のある所は、大地のエネルギーが転写された所なので神社が建てられるケースも多いのです。
そこで日本全体を見渡して下さい。 いかに多くの山があるのか、そして水の豊かさもです。 波動エネルギーがこれほど豊富な所です。 利用しない手はありません!。 結果多くの神社が出来ました。
そして古代の人々はその波動エネルギーを、願いを叶えてくれる神と置き換えたのです。
例として、水の神として神社に祀られている龍神は波動エネルギーを表現したものです。
面白いことにこの波動現象は不遜な表現ですが単なる物理現象に過ぎません。ですから私たちが願い掛けそれが叶うと、自然の法則である作用・反作用の力で当然その見返りの現象が起きます。 ですから単なる欲から願いを掛けると叶えられた暁には当然相応の請求書が送られてきます。 よってその願いにに対するその人の意識のあり方が重要になってくるのです。

ここまでお話した神社は自然のエネルギーでも穏やかなものでしたが、荒々しい自然エネルギーや人間の恐れを元にした封印を意味する神社もあります。
災害をもたらす火山や地震などその様な現象も波動エネルギーの一つの形態です。 当然古代の人々はその神社の場所で祈り、意識を合わせその荒々しエネルギーの中和を試みます。 その願いが強ければその波動エネルギーが相殺される訳です。 当然エネルギーの大きさは桁違いでしょう。 しかし思い出してください。 大きさが違ってもエネルギーの倍数共振関係を理解しているならそんなに難しいことではないのです。 勿論その祈りは純粋でなければ綺麗な波形にならないので効果はありません。

神社にお参りし願いを掛けることは何も悪い事ではありません。 しかしその前に自分の意識のあり方の重要性を知るべきなのです。 その神社は良いも悪いもありませんし、特別な神様がいる訳でもないのです。
あえて神と定義するなら、神社は私たちの意識の鏡であり、私たち自身が神そのものであるという事です。
なぜなら神社があるだけでは何も起きないからであり、物事の原因となる物が必要なのです。
神殿などの神棚に祀られている三種の神器の一つである大きな丸い鏡があります。それは太陽神を表すものであると同時に私たち自身を写す鏡でもある訳です。

以上、神社について簡単な解説を試みましたが、何時かもっと深く掘り下げて解説してみたいと思います。