三重日記27

京都の伏見稲荷大社に行ってきました。
この稲荷大社は後ろにある山全体がご神体で、山にある奥の院に行くと、とても神聖な雰囲気がある。
清明神社
清明神社に訪問した目的は、北海道に戻った時の自宅の周りに撒く浄めの砂を入手する為。
結界という意味ではこの神社はとても強い力がある。
浄土真宗 東本願寺
泊まったホテルの隣が浄土真宗東本願寺だったので訪問してみた
親鸞上人の御影堂は東本願寺の方が若干豪華に見えるが気のせいか?
意識を親鸞上人に合わせてみると東も西も関係なしでしかも、この様な宗教団体も本意では無いとの感じであるが・・・・。
ちなみに我が家は西本願寺の門徒である。
三重の生活もいよいよ後1ケ月と少しで終了となる。気がつくと約4年この地に住んでいた事になる。
色々な意味に於いて良い経験が出来たのでないかと思う、北海道にだけ居たならこれほど色々な神社や寺院に訪
問出来なかったと思う。
特に感謝すべきは数ある日本の神社の総本宮中の本宮と言える伊勢神宮に20回以上お参り出来たのは、只々有
り難き幸せと思う。


激動と言える今の日本、これからどの様な事になるのか分からないが、少なくとも一人一人が生き方を見つめ直し
本当に大切なものを見極め何事も他人のせいにするのでは無く、自己責任を果たし調和の取れた生き方を目指す
べきであると思う。 
そして人間が幸福を達成するためには重要な鍵がある事に気づくべき時期に来ている。
その鍵とは  『 信 頼 』 ・・・・ この言葉が表す意味に全てが掛かっている。
いったい何を信頼するのか?    その信頼する対象によって生き方が天と地ほどに変わってくる。
その信頼の対象は自分自身で見つけるしかない。
ただし誤解の無い様に言っておくと宗教とか教祖とかいった物でない事は確かである。

でも本当はこの事を知ろうが知るまいが、全ての人には揺るぎない真に信頼すべき何かに既に包まれている
否!そのもであると言うのがより正確なのだと思う。 
この事は確信をもって語ることが出来る。    故に、人間(我々=私)は幸福そのものであり既に救われている
のである。